寿岳 潤について

寿岳 潤(じゅがくじゅん)(1927-2011) 
天文学者

文章、しづの長男。京都府立一中四年終了、第三高等学校を経て、京都大学理学部宇宙物理学科を1950年3月に卒業し、フルブライト留学生試験に合格し、1953年氷川丸でアメリカに向かった。ミシガン大学の大学院で、さそり座r星、B型星などの恒星大気の研究に従事し、当大学より博士号を得ている。

帰国後、京都大学に戻り、湯川記念奨学金を受け、大質量星の進化などの研究を行ないました。1958年にはアメリカ・カリフォルニア工科大学研究員となり、恒星物理の研究に従事した。1961年、ケンタウルス座3Aに、初めてヘリウムの同位元素3Heを発見した。さらに1963年、東京天文台分光部に東京大学講師として着任し、64年に助教授に昇任。東京天文台では天文学史に残るような業績を数多く考察、発見し、また日本の天文学を世界に発信する学会誌を24年間にわたり編集する任にあたり、自らも論文執筆を精力的に重ねて、学会を牽引し、国際的な水準に引き上げる役割を果たした。

そして超常現象を科学的に検証することを目的とする学会「ジャパン・スケプティクス」を設立し、初代会長をつとめ、また、父親譲りの名編集ぶりは、この学会の研究誌でも生かされ、広く社会に科学知を浸透させていった。「宇宙人の存在を信じるか」という問いに、「科学は信ずる、信じない、の問題ではない。意味のある設問が科学的に判断されたとき、それを追究するのがまさに科学である」とした。

東京大学東京天文台教授を務め、光赤外天文学を専門としつつ、初のX線星発見に貢献したが、天体のみならず、「宇宙文明」という幅広い視野から地球の未来をも展望できる天文学者であった。「地球文明の未来を考えることは、科学技術、文明の役割の再点検はもとより、旧来の社会思想の枠組の変更をも視野に入れざるを得ない、人類社会にとって重大かつ緊急の課題なのである」といった人文知をもとりいれた文明論を積極的に構築していく学者だった。

幼き日に父の書斎で自由に書物を手にして時間を過ごした潤は、確実に父の薫陶をえていたのである。よって、向日庵が生み出した科学者であるといっても許されるのではなかろうか。 

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