寿岳 章子について

寿岳 章子(じゅがくあきこ)(1924-2005) 
国語学者 エッセイスト

寿岳文章・しづ夫妻の長女として京都府に生まれ、向日市で育った。長じて、東北帝国大学文学部に入学し、1946年、卒業後、京都大学大学院へ進学し、国語学を専門として、京都府立大学助教授、教授として同大学に長年にわたり奉職した。国語学の専門業績として特記すべきは、中世の抄物研究をあげねばならないであろう。「抄物」について先駆的研究を残すとともに、同時に抄物の収集をも積極的に行い、集められた抄物は資料集成され、『向日庵抄物集』として刊行された。また、そうした原本は京都大学国文学科に寄贈され、後進の研究に多大な寄与するところとなった。

向日庵の人々は、みずからの専門化した学問研究を、一般読者へ平易なかたちで伝えることを責務とし、学問をより身近な存在として日常生活のなかで生きる糧として機能することを実践した。章子はそうした向日庵のすぐれた存在であった。卓越したエッセイストであり、専門の言語学、女性の生き方を問い直したフェミニズム、京都の市井生活を描いた著述などにおいて、人々の記憶に強くその存在を訴えた。そうした中で、自らの精神の軌跡をつづった『過ぎたれど去らぬ日々 わが少女期の日記抄』(1981年)は、NHKテレビでドラマ化され、好評を博したことは記憶に新しい。

章子が小学校四年生の折、左京区南禅寺から向日町へ一家は転居し、向陽小学校で学んだ。「工作の時間、粘土細工をするといってはクラス全員でまず近所の小畑川の茂みをダダダッとすべり降りて、川底の粘土をガバっとかき取り、市内時代の五倍も六倍もあるグレイの粘土をかついで教室に戻り、やおら雄渾な巨大作品を作ったりした」(『京の思い道』)と、小学生の視点から見た生活が余すところなく活写されていて、昭和における市井の情景をとどめたすぐれた記録になっている。

一般読者にとっては、現代語の文体研究、女性語研究の分野でのすぐれた著者として知られていたが、章子の生活の場に軸足をすえた生き方は、街並み保存の重要性を問い直した姿勢にもっとも強く打ち出たといえよう。今日では京都の町家保存が声高に叫ばれているが、その意義を誰よりも早くから追究していた業績を忘れてはならないであろう。

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