NPO法人について–ごあいさつ

ごあいさつ

 昭和8年、寿岳文章は京都乙訓の地に向日庵(こうじつあん)をかまえ、以後、たゆまず文化的な営為をつづけてきました。ただ向日庵が特徴としたのは、ひとり個人の活動によるものではなく、家族全員が協働して文化を発信する場としていた点であります。家族が同じ理念のもとに文化的発信を持続していたのは、世界でもきわめて例が少ないのではないでしょうか。こうした向日庵の文化的な営みを検証し、後世に伝え、活性化していくことこそ私たち法人の責務であると信じて疑いません。

 寿岳文章はロマン派詩人ブレイクの研究者として著名ですが、同時に手漉き和紙の独自な研究により、柳宗悦とともに民藝運動を指導する一人となりました。用と美の結合を信条とした向日庵本は、自らの信条を美しく具現化したものです。読売文学賞をうけたダンテ『神曲』の訳業こそ、偉大なルネサンスの英知から平和思想を継承する営為であったのです。

夫人しづは自らの生き方を問うた小説『朝』によりつとに知られ、愛する向日の自然を活写した随筆家として著名です。また、自然保護運動の先鞭をつけたW.H. ハドソンの名著『はるかな国 とおい昔』の訳者その人なのです。

 長女、章子は京都府立大学で教鞭をとり、中世日本語を専門とする言語学者でした。学問を実践の場へ移し、幅広く発言を続け、京の町家を保存・復活する運動を導きました。

 長男、潤は文系色の強い一家のなかにあってひとり科学を追究した異才です。幼少の頃、文章の子らしく夜空に輝く星座に自らの「物語」を重ね、長じて固有の輝きを放ち国際的な天文学者となりました。東京大学天文台を研究の場として業績を重ねましたが、発見した星に自らの名前をきざんだことこそ、何よりも本懐であったろうと想像します。
 晩年、『寿岳文章・しづ著作集』全6巻が出版されましたが、生涯を統括するような文業が夫婦のかたちでまとめられたのは、世界の出版界でも類例がないでしょう。この著作集には個と個が連なった新しいかたちを見ますが、四人の異才が集結した向日庵は、自然愛と人間愛を信じ広く世界に文化的メッセージを発した場でもあったのです。

 桜の木保存運動の先頭にたったのは文章でしたが、向日に広がる竹林の魅力を誰よりも訴えたのはしづ夫人でした。「環境」という緊急な問題をたえず先鋭的に発しつづけたのは寿岳一家でありました。先に聴竹居が重要文化財に指定されましたが、直系の向日庵もまた昭和初期を代表する建築物としてその名に恥じません。
ただ向日庵を文化財として保存することはたしかに有意義でしょうが、一家がこの住居を文化発信の場にした事実を忘れてはなりません。つまり、遺品を保管、展示する以上に、さらなる文化創造・発揚の場として活用しなくては、真の保存にはつながりません。市民、住民が文化発信の場として実践してこそ意味があるのだと信じます。

 全国に広がる寿岳一家を愛する皆様、また、文化・芸術の振興に深い理解をお寄せ下さる企業、団体の方々からのご支援を賜りたく存じます。向日庵保存の趣旨にご賛同いただき、ぜひともご入会してくださいますよう切にお願い申し上げます。

特定非営利活動法人向日庵 理事長  中 島 俊 郎

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